泉南のヤンキーは新宿ネオン街の夢を見るか?

むかし、「マイルドヤンキー」という言葉がよくメディアに取り上げられていたとき、「この世にマイルドなヤンキーなど存在しない。存在するのはヤンキーか、ヤンキー以外である。マイルドヤンキーとされているのは、ヤンキー風の嗜好を持った『ふつうのひと』だ。マイルドヤンキーを考えた人は本物のヤンキーを見たことすらないに違いない」という意見(うろ覚えです)をTwitterか何かで見て、おもわず膝を打ったことがある。

 

なるほど、「マイルドヤンキー」を提唱した原田曜平さんは東京都出身である。授業中、ふと外に目をやると校門の前に爆音を轟かせて乗り付ける改造車の群れがいた経験もなければ、友達と楽しく自転車で帰宅中、幅寄せしてきた車のパワーウインドウの隙間から「殺すぞ」と恫喝された経験もおそらくお持ちでないだろう(あ、でもWikiみたら北区出身と書いてますね。じゃあもしかしたらあるかも)。

 

ヤンキーと「ふつうのひと」はまったく違う存在だ。その間には埋めようのない隔たりがある。両者を弁別するのは至極簡単で、それは暴力を経済の中心に置いているかどうかを見れば分かる。「ふつうのひと」が金銭と引き換えに欲しいものを手に入れるのに対し、ヤンキーは暴力と引き換えに(金銭を含む)欲しいものを手に入れる。お金をたくさん持っているやつが偉いのではなく、喧嘩が強いやつが偉い。ヤンキーの経済力とはすなわち暴力の強度である。暴力以外のヤンキー的要素(すでに今年1年分の『ヤンキー』という単語を使いはたした気がして息切れ気味だ)―ガルフィーのジャージ、セブンスター、深夜のドンキにアルファード―はあくまで記号的なものに過ぎない。つまり、アウトフィットやアティテュード(なめんなよクソポリ死ね!)がヤンキーかどうかを規定するのではない。暴力のみがヤンキーをヤンキーたらしめるのである(なんかニールヤングっぽい言い回しだな)。

 

ヤンキーは暴力を介して経済活動を行っている。したがって彼らは地方や、あるいは都市の周縁でしか生存できない。なぜなら都市は強固な金融経済を中心に機能しているからであり、また彼らの本領である暴力を介して作用する経済も、都市ではヤクザや半グレといったさらに高次の暴力を持つ存在に握られているからである。仕方がないので彼らは周縁部をぐるぐる回り、敵対グループともめたり、気まぐれに「ふつうのひと」にちょっかいをかけたりして充足することを余儀なくされる。

 

ヤンキー的なアウトローが社会において周縁化されるのは日本に限った話ではないようだ。アメリカのパワーポップバンド、ファウンテインズ・オブ・ウェイン(FOW)の“Leave the Biker”という曲は、小気味よいカッティングギターに乗せてこんな歌い出しから始まる。

 

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Seems the further from town I go
The more I hate this place
He's got leather and big tattoos
Scars all over his face

 

中心から離れれば離れるほど
この町が嫌になるみたいだ
レザージャケット、それにでっかいタトゥー
顔中傷だらけ

 

ここで描写されているのは「バイカー・ギャング」と呼ばれる集団である。その名が示す通り、ハーレー・ダビッドソンのようなイカついオートバイに跨って徒党を組むアウトローたちだ。こう書くと「なんだ、アメリカの暴走族か」と思われるかもしれないが、とんでもない。ときに殺人を犯し、売春やドラッグの取引で生計を立てる、(撞着語法的な言い回しになるが)非の打ち所のない無法者である。歌詞にある通り、彼らは所属チームのパッチを貼ったレザージャケットを着て全身にタトゥーを纏う。また、「町から離れるほど」という一節から都市部ではなく、その郊外に生息していることが分かる。

 

すれ違うだけで恐ろしい。目を合わせたら攫われるかもしれない。この曲の主人公は、顔面傷だらけの屈強なバイカー・ギャングにビビり倒している。ところが、続く歌詞で曲のトーンはすこし変化する。

 

And I wonder if he ever has cried
'Cause he couldn't get a date for the prom

 

思うんだけどあいつ、
プロムに行く相手が見つからなくて泣いたことはあるのかな

 

ギャングとプロム(高校卒業前に開かれるダンスパーティー、原則として男女ペアで参加する)。思わぬミスマッチによって、暴力と恐怖でコーティングされた彼らの表層に小さな風穴が空く。主人公は非日常を生きるバイカーに「プロムに行く相手はいるのか」という切実かつリアリティを持った日常を突き付けることで、埒外にいた彼らを自らの土俵に引きずり込もうとするのだ(まあそもそもアウトローなのでそんなものに出席する気は端からないだろうが。ていうかプロムに行く相手が見つからなくてすすり泣いたのは主人公のほうである)。

 

僕は音楽の趣味もいいし、アートや文学の話ができて、身だしなみにも気を遣っている。だからせめて、バイク野郎には女の子に見向きもされないでいて欲しい。主人公のそんなささやかな願いは、抗い難い現実によってもろくも打ち砕かれる。かつての流行歌で「マジでヤンキーがもてる」と歌われたように、不良がモテるのは佐賀県だけでなくマジで万国共通なのである。

 

He's got his arm around every man's dream
And crumbs in his beard from the seafood special
Oh can't you see my world is falling apart

 

奴はすべての男の夢を手にしてる
シーフードスペシャル・ピザのカスがヒゲにくっついてるくせに
君は僕の世界がめちゃくちゃになってくのがわからないのかよ

 

暴力的経済圏では、すべてを手にするのは圧倒的な暴力を持った者だ。下品で粗野で乱暴なのに、意中のあの子は自分ではなく悪党に振り向いてしまう。暴力的経済力ゼロの生っ白い主人公は、こう情けなく懇願することしかできない。

 

Baby, please leave the biker
Leave the biker, break his heart
Baby, please leave the biker
Leave the biker, break his heart

 

ベイビー、お願いだからバイカーなんか見捨ててよ
あいつのことを振ってズタボロにしてくれ
ねえ、頼むからバイク野郎なんか相手にしないで
どうかあいつの心を傷つけて

 

悔しくてこのままでは引き下がれない主人公は、どうせお前ら不良はエロ本でしか字を読んだことがないんだろう、とバイカーたちの知性を軽蔑し、たとえ飼っていた子猫が轢かれて死んでも泣くことはないのか、と立て続けに投げかける。しかしそれでもなお、思いを寄せる彼女は小さな命を憐れむ小さな心へは見向きもせず、タンデムシートに飛び乗ることしか頭にないのだ。

 

ところが曲のクライマックス、音程を上げて繰り返され、ビートルズ風に収束していくかと思われたコーラスは唐突な鍵盤の音で断ち切られる(”A Day In the Life”へのオマージュだろうか?)。この人を食ったようなピアノの響きは「なーんちゃってね、全部冗談でした!はい終わり〜」と言っているようにも聞こえる、ヤケクソなちゃぶ台返しだ。聴き手は思わず脱力し、ただ笑うしかない。

 

暴力が幅をきかせ、自由や平和や人権を脅かし支配しようとする現代において、私たちは跳梁跋扈する匪賊どもに立ち向かわなくてはならない。立ち向かうといっても、各自の生活を美しくしてそれに執着するなどという、暢気な利己主義に自閉することではない。暴力に暴力で対抗することでもないだろう。銃を持った悪漢から身を守るために市民全員が武装して街を歩く社会など、うすら寒いディストピア以外のなにものでもないからだ。FOWは、バイカー・ギャングというならず者をメタ的な「おちょくり」の構造に放り込むことで暴力を相対化し、抵抗する。不条理な力を前にしてできることは少ないかもしれない。真正面からぶつかったところで勝ち目はないだろう。でも、暴力は絶対的なものではないし、私たちは決して無力ではない。“Leave the Biker“は、腕っぷしも気も弱い私たち「ふつうのひと」に、そんな知恵と勇気を与えてくれる曲だ。

 

 

 

“Leave the Biker“をクリス・コリングウッドとともに作り上げたアダム・シュレシンジャーは2020年4月1日、COVID-19の合併症によって亡くなった。アダム、素晴らしい音楽を本当にありがとう。僕はこの曲がFOWで1番好きだ。どうか安らかに。

 

オヤジどもに告ぐ

数年前の話だ。金曜日の夜にラーメン屋さんでご飯を食べて帰ろうとしたところ、30〜40代ぐらいのサラリーマン数名がビールを飲みながらクダを巻いていた。ここまでは珍しくない光景だが、よくよく聞いてみるとグレタ・トゥーンベリさんの悪口を言っている。「グレタ、あいつはマジでやべえ」

 

会ったこともない外国の若者の悪口を言うことでストレス解消してる日本のサラリーマン可哀想過ぎるというかガチめに心配なのだが、これまでもこれからもけっして交わることはないであろう、極東のしがねえオッサンの飲み会の俎上にも上げられるグレタさんの発信力というかコンテンツ力には改めて感服するばかりだ(私からのアドバイスとしてはそうだなあ、ストレス解消にはやっぱり体を動かすのがいいと思う。ベタだけどジョギングは初期コストも少なく始められるのでおすすめだ。あとはミニシアターで映画鑑賞なんかどうだろう。シネコンと違ってうっとうしいCMはないし、空いてるし。そうそう、最近北海道旅行で泊まったホテルの目の前がシアターキノというとってもすてきな映画館だった。金大中とその選挙参謀をモデルにした『キングメーカー 大統領を作った男』が面白かった。イ・ソンギュンのハンサムさとイケボがいい具合に胡散臭く機能していてよかったな〜)。

 

こんな記事が作られてしまうことからもわかるように、某トランプ前大統領や某ヤフーニュースのコメント欄に生息しているタイプのシニカル・ヒステリー・オヤジどもにグレタさんは異様に敵視されている。なぜか。その理由は単純である。彼らは、

 

・生意気な若者
・主張をする女性
・外国人
環境主義

 

が死ぬほど嫌いで、これらすべての要素を兼ね備えたグレタさんはなんかもう最近流行りの言葉で言うとサタンだからである。

 

CHO(シニカル・ヒステリー・オヤジの略ね)は自慢話をウンウン聞いてくれて、社会にも家庭にも拠り所のない自分の溜飲を下げてくれる従順な若者なら大好きである。でも残念ながら若者たちは生得的に(オヤジにとって)生意気なので、CHOが嬉々として話す、本人の能力というよりも会社の看板があってはじめて成り立つ類の過去の成功体験を聞きながら「その話何回目だよ 知らない間に時かけてんのかと思ったわ草」などとツイートをしている。

 

インターネットの登場は、それまでマスメディアが独占してきた言論発表の場をわれわれ一般市民にも広く開放した。一方で、「馬鹿野郎、うんこ野郎」という様な、読むに耐えない低次元なテキストを電脳空間に多数生成したのもまた事実である。とりわけSNSやニュースサイトのコメント欄、レビューサイトは「いいね」ボタンにより投稿へのリアクションが可視化される。社会でも家庭でも話を聞いてもらえないCHOはようやく俺たちにも発言権が与えられたやったと欣喜雀躍し、あまつさえ自身が肯定されているかのような錯覚に陥ってしまった。こうして彼らは水を得た魚のごとく、もとい下痢便に群がるコバエのごとくブンブン飛び交いはじめたというわけだ。いいね!

 

まあこの際、おっさんが何食うてるかなんか1ミリも興味あれへんわこまめにメシの写真上げんなやオヤジや、なんぼほどインスタに長文で政治の話書くねんそれもうブログでやれやオヤジどものことはベーリング海のように冷たくも広い心をもって許そう。それよりも私が看過できないのは、隙あらば悪口ネジ込みオヤジである。たとえばこんな調子。

 

「ケイタ君が来店してくれました!最近の若者はまともに話もできない草食系が多いけど、彼はイケメンで話してて楽しい例外中の例外。ナイスガイです」

 

あのさ、そもそもなんだけど誰かを褒めるために誰かを貶す必要ある?それ若者ディスしたい前提で書いてるよね?ケイタくんも失礼しちゃうよな?「最近の若者は〜」論は加齢と不可分なものだから置いておくとして(ついに僕と同世代の30前後のやつも言うようになり始めた、あ〜あ年取るってやだねえ)あなたは何人の若者と会って話したわけって話。サンプリング調査で必要なサンプル数って最低1000人ですけど、それだけの若者と会話して特性や傾向をきちんとスプレッドシートにまとめた上での発言なのですか?

 

とまあ、こんな感じでTHO(タンナル・ヒステリー・オヤジ)の私はついついヒートアップしてしまう。でももうはっきり言って限界なんだ。「氷河期に地殻変動、地球の歴史を見ると温暖化なんて誤差レベルでしかない。人間のようなちっぽけな存在が地球環境に影響を与えられるという考えがおこがましい」なんていう、なになに急にどうしたのお前は神か?みたいな視点で語り始めるオヤジどもはすみやかに撃滅されねばならぬ。

 

オヤジどもに告ぐ。もう終わりにしよう。というか私が終わらせる。今から呼び出し場所を書いたチラシをプリントパックに20万部入稿して街じゅうにぺたぺた貼って回るからな。気分はもうアドルフ・カウフマンよ。文句あるならいつでも相手になってやるぞ馬鹿野郎、うんこ野郎。

 

 

 

改めて読み返したい名作。

 

見飽きた奴等にゃおさらばしよう

会社をやめた。二十代半ばから6年近く勤めたので、退職の日は感慨があるかと思っていたが、特にそんなこともなかった。まあ会社に不満があって、しかも自分からやめているので当たり前の話ではある。解放感やっほー!

 

考えてみると、自己都合退職とは大層なイベントだ。一般人の人生において、何かを「やめる」ことをこれほどまで高らかに宣言することはあるだろうか(たとえばスポーツ選手の場合、引退は一大イベントである。なかにはわざわざ記者会見を開いて「やめます」と宣言する人もいる)。

 

始めたことを「やめる」行為は、それが特に依存性もなく、かつ自分一人で完結している場合、たいていひっそりとおこなわれる。資格の勉強、朝活、ジョギング、コレクションなどなど。仮に友達に「毎朝早起きすんのしんどいから朝活やめるわ」と言うことはあっても、「ふーん…」で終わってしまうだろう。

 

対して、自己都合退職は嫌になるほどいろんな人に「ワイ会社やめるねん」と言いふらさなければならない。これは退職が、仕事を通じて築いてきた人間関係を精算する行為の集積だからだ。おそらく個人レベルでは、自己都合退職以上に複雑な、さまざまな人を巻き込んだ何かを「やめる」というイベントは存在しないだろう。

 

関連して、本心かはわからないが「家族を守らなければいけないからやめられない」などと言う人がいる。でもそれは「めんどくさいから退職したくない」という理由を家族に転嫁しているだけな気がする。会社をやめることで色々な人との関係をリセットする必要はあれど、家族との関係は変わらないからだ。それに本当に自分がやりたいことがあるならきちんとプレゼンするべきではないか。相談すらしていないのに家族をダシに使うなんて家族に失礼なんちゃうのと思う。

 

話を戻すと、会社のやめにくさは仕事にまつわる人間関係の多寡と比例する。上司とセットでないと客先に訪問できない入社2ヶ月の新人と、多数のクライアントを抱えるトップ営業マンとでは抱えている人間関係の総量が違う。一般的に勤続年数が短い若手の方が会社をやめやすいとされているのは、彼らが持つリレーションの少なさによって「もろもろ調整する」めんどくささがない、つまり退職という「ナシ」をつけやすいためである。

 

法律的にはもろもろのめんどくさい調整をほったらかしても、2週間前に退職の申し出さえすればOKということになっている。でもそれって社会人としてどうなのという話になってしまうし、当の本人もあまり気持ち良くはないだろう(とんでもなくブラックな環境で働いている人は、パワハラ上司にドロップキックと往復ビンタかまして即日行方をくらませばいいと思います)。

 

かくして私たちは、引き継ぎ用のマニュアルをパワーポイントで汲々とこさえたり、行きたくもない自分の送別会でオヤジの繰言にニコニコ相槌を打ったりせざるをえない状況に陥るわけだ。でもしょーがない。それが誰かに雇われて生きるってことだから。

 

会社をやめる前、もっというと退職を見据えて転職活動をする前から、じゃがたらの「でも・デモ・DEMO」がずっと私の頭の中で流れていた。

 

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暗黒大陸じゃがたら名義で1982年に発表されたデビュー・アルバム「南蛮渡来」のオープニング曲。はじめて聴いたのは私がまだ十代の頃だっただろうか。フロントマン、江戸アケミの「あんた気に食わない!」というシャウトに続き、ズンドコ打ち鳴らされる太鼓とブカブカ吹き荒れるラッパ、唸りをあげるリードギター、精確にリズムを刻むリズムギターとベースがないまぜになって火砕流のように溢れ出す狂乱のアフロビート。どこか日本的な村祭りを思わせる猥雑さと暖かさを持ったそれは、私の胸ぐらを掴んで煌めくやぐらの上まで引き寄せるような迫力に満ちていた。

 

あれから色々な国の色々な音楽を聴いてきたが、いまだに「あんた気に食わない!」と叫んで始まる曲など聴いたことがない。デビュー・アルバムの、しかも一曲目である。こんな曲を私はほかには知らない。一方で、歌詞を読み進めると江戸が一体何について気に食わないのかが少しずつ浮かび上がってくる。

 

くらいね、くらいね、性格がくらいね、
で、で、でも

 

みんないい人、あんたいい人
いつもいい人、どうでもいい人
今宵限りでお別れしましょう

 

(中略)

 

せこく生きてちょうだい
見飽きた奴等にゃおさらばするのさ

 

(中略)

 

日本人てくらいね、性格がくらいね

 

 

「あんた」は一見二人称ではあるが、特定の個人を指したことばではない。その対象は、日本という旧弊な社会と、それが醸成する目に見えない「空気」そのものだ。たしかに一人ひとりは「いい人」なのだろう。でもあんたたちは根本的に性格が暗いどうでも「いい人」だし、そんな奴等が集まった重苦しい空間には耐えられない。アケミはそう喝破する。

 

江戸アケミが亡くなってから30年以上経つ今もなお、いやむしろ悪意が大手を振ってそこかしこを歩く今こそ、「でも・デモ・DEMO」はリアリティと共感を伴って語りかけてくる。少なくとも小さな舟に乗り込み、ゆらゆら波に揺られながら毎日を進んでいた私にとって、この曲は闇の先を照らす灯台のような存在であり続けた。とうの昔にやめた人の悪口を言い続ける矮小な人間性や、生気なくパソコンに向かう真っ白なお面がずらりと並ぶさまを眺めながら、私は「見飽きた奴等にゃおさらばするのさ」と頭の中で繰り返し歌い踊っていたのだった。

 

83年から85年の活動休止を挟んでじゃがたらが全盛期を過ごした86年から90年という時代は、そのままバブル経済とぴったり重なる。アホ丸出しでええじゃないかええじゃないかと浮かれ騒ぐ人々を横目に、江戸アケミはその実態のなさと、放縦がやがて行き着くであろうどんづまりを鋭敏に感じ取り、「ここではないどこか」をつねに希求し続けた。

 

そうさ、お前は本当は とてもいかした男さ
イェイ、イェイ だから脱け出せ 今居る処から
そうさ、世界は思わくより 速くなっているのさ
なのに、お前らのしてる事は
つじつま合わせ

 

ーゴーグル、それをしろ

 

このままじゃ

どこまで行っても同じことさ
どこまで行っても出口知らずさ

 

(中略)

 

スピードさらにスピードもっとゆっくり急げ
スピードもっとスピードさらにゆっくり急げ
ハイウェイの彼方に ハイウェイの彼方に

 

ー岬でまつわ

 

同時に、「お前はお前の踊りを踊れ」というアケミの遺した言葉からもわかるように、じゃがたらは人間がもつ身体性を全面的に肯定した。それは生命の肯定とも言える。下手でもいい。お前がやりたいように、お前のやり方で踊ればいいんだよ。一見乱暴なようでいてやさしい、アケミの人間存在に対するまなざしは一貫している。クライマックスへと向かう「でも・デモ・DEMO」で、彼はこうがなり立てるのだ。

 

思いつくままに動き続けろ
思いつくままにとばしつづけろ
思いつくままに走りつづけろ
思いつくままにたたきつづけろ
思いつくままに壊しつづけろ
思いつくままに踊りつづけろ
思いつくままにしゃべりつづけろ

 

江戸アケミは、「お前はお前のロックンロールをやれ」とも歌った。その通りだと思う。私たちは踊りつづけなければならない。ロックしてロールしつづけねばならない。社会に、システムに回収された私たち自身の身体を奪還しなければならない。踊りといっても、お立ち台にのぼって扇子ひらひらするような知性の欠片もないダンスではない。これは戦いのための踊りだ。私たちにはそれぞれ固有の身体があり、それは自分以外誰のものでもない。だから私は、こうして思いつくままに文章を書きつづけている。

  

原画展はなぜつまらないのか


先日水戸に行く機会があり、ふらっと立ち寄った茨城県近代美術館でメディアアーティスト/絵本作家、岩井俊雄さんの企画展「どっちがどっち? いわいとしお×岩井俊雄 ―100かいだてのいえとメディアアートの世界」をみた。結果的にそこそこ楽しんだのだけれど、すこし引っかかる点があった。それは、展覧会のタイトルにもある、絵本「100かいだてのいえ」の原画をはじめとした一連の展示だ。

 

「100かいだてのいえ」はシリーズ累計発行部数400万部を超える大ヒット作品だ。100階建ての建物の最上階(あるいは最下階)へ主人公が1階ずつ登って(降りて)いく様子がカラフルかつ緻密に描写され、縦開きのページをめくることで1から100までの数字を楽しみながら覚えられる構成になっている。

 

で、会場を入ってすぐのところに絵本の原画や下絵、没案などがまあまあのスペースをとって展示されていたのだが、これがもう、壊滅的につまらなかった。作家や美術館には申し訳ないけれど、たいへんに苦痛な時間だった。「ああ、まちごうたな」「もう帰ろうかな、お金損した」とさえ思った。

 

その後のメディアアートの展示がおもしろかったためになんとか自主退館は免れたものの、帰りの電車で僕はもやもやしていた。原画を鑑賞するってつまらない。それまでうっすら意識されていただけの感情が、脳内にはっきりと発現した(けっして100かいだてシリーズがつまらないと言っているのではないです)。でも、どうして原画をみる行為はつまらないのだろうか。勤めている会社の退職間際で暇を持て余していた僕は、このことについてすこし考えてみた。

 

結論から言うと、原画展がつまらないのはそれがたんなる「ファンイベント」に過ぎないからだ。ファンイベントとは文字通りファンのための見せ物だ。つまりファン以外はお呼びでない。僕が展示を楽しめなかったのは、そもそも「100かいだてのいえ」について詳しく知らなかったためである(これを言うのはとてもためらわれるが、岩井俊雄さん自体不勉強でよく存じ上げなかった)。

 

「原画」を辞書でひくと、つぎのように書いてある。

 

げん‐が〔‐グワ〕【原画】

複製したり印刷したりする、もとになる絵。「挿し絵の—」

出典:小学館 デジタル大辞泉

 

うーん、アウラがどうたらは関係ないけど、「複製」がポイントになりそうだ。

 

絵本の原画は、複製・頒布されることを前提としている。いっぽう、アート作品は美術館やギャラリーといった「場」においての鑑賞が期待されている。つまり、原画とアートではメディアとして求められる役割が根本的に異なるのだ。

 

絵本の原画は、はなから「場」における鑑賞を想定して作られていない。にもかかわらず、額装され、壁に吊るされることでアートというメディアへ変身を遂げる。本来手にとって自分の好きなように接するはずのものを、手を触れず、一定距離を保ちながらもっともらしい顔つきで順繰りにみてまわる。そんな鑑賞態度を強いられることが僕には苦痛だった(下絵や色校正のコピーなどは手にとることができたのでおもしろかった)。

 

もちろん、古代の土器や農工具のような鑑賞を目的としてつくられていない実用品、活版印刷や浮世絵、シルクスクリーンのような複製品も美術館・博物館にはたくさん展示されている。でも、これらの品々は歴史や文化や美学(民藝運動を例に挙げてもいいだろう)といったさまざまな鑑賞の「文脈」に接続されている。しかし、僕たちが原画を見つめるまなざしにはそれが欠落している。

 

原画と観客の間をつなぎとめるものは、それを知っているかどうか、もっと言うとそれを好きかどうか、しかない。細かな描写に感心したり、ものづくりのプロセスを学んだりするといった楽しみ方は細々とつながりはしても、決して太い幹にはならないだろう。

 

とにかく、ファンイベントとメディアアートの展示という、ふたつの異なる性格の催し物がひとつになっていたので、予備知識のない僕は混乱してしまった。企画意図を汲んでいなかったと言えばそれまでかもしれないが、気軽にアートをみにきたつもりなのに、いきなりファンイベントにカチ合い、びっくりしたのだ(これは企画の意図をよく知らない、という意味で僕と同じ立場にいたであろう子供も同じだったようだ。暗闇のなか、ミニマルなBGMにあわせて無数の紙人形がストロボを浴びてぐるぐる回転する「時間層II」をみて大泣きしていた子がいた)。

 

改めて振り返ってみると、主催者側も展示内容が分裂していることに対して意識的だったようだ。茨城県近代美術館のWEBサイトに掲載された「どっちがどっち~」の説明は、つぎのようなものだ。

 

子どもたちに大人気の絵本作家・いわいとしおと、メディアアートの第一人者・岩井俊雄。一見、相反する異ジャンルのクリエイターは、実は同一人物だった!

 

なぜ、彼は2つの顔を持つのか? 子ども時代の発明ノートやパラパラマンガ、絵本原画やスケッチ、メディアアートの再現展示によって、アナログとデジタルにまたがる、その多種多様な表現世界の全貌と創作の秘密に迫ります。

www.modernart.museum.ibk.ed.jp

 

ここには夏休みだからお父さんお母さんは子供といっしょにいらっしゃい、という集客・マーケティング的観点が透けて見える(じっさい子連れ客がほとんどだった)。あるいは、もう10年以上メディアアーティストとして目立った活動をしていない、岩井俊雄という作家の複雑な立ち位置も関係あるかもしれない。メディアアートだけだと回顧展のようになり、いま何してんねんということになってしまう。

 

とまれ、僕には原画の楽しみ方がよくわからないし、原画展はつまらないという認識を確固たるものにした。なんとか原画を楽しんでみてもらおうとする工夫は感じられたのだけれど、それでもファンイベントの域を出るものではないように思った。

 

原画展は展示のフォーマットとしてまだ新しく(最初に開かれた原画展っていつなんでしょうね)、これから鑑賞法が確立されていくのかもしれない。歴史という時の流れが、鑑賞する文脈を付与するのかもしれない。自分自身がそれを考えてみたっていいだろう。でも、わざわざそこに時間を割こうとも思わない。だって僕は自転車に乗って綺麗な夕日をみにいったり、ソウルミュージックのレコードをかけて踊ったりするので忙しいからね。

 

ちょっと当たり屋じみているが、よっぽどファンでない限り原画展やそれに類する展示には僕はもう行かないと思う。そして原画展はふつうの美術展面をするのではなく、もっとファンイベントであることを明確にしていてほしい。

 

「よく知らないやつが来るな」「予習してから来い」という向きもあるかもしれない。でも、詳細をよく知らない、ふらっと立ち寄っただけの人が楽しめないなら、それこそほんとにただのファンイベントだと思うのだけれど。

 

私はいかにしてケツ丸出しで橋からぶら下がるようになったのか

小学生の一時期、野糞にはまっていた。「みっちゃんみちみち」ではじまるわらべ歌があるが、私はあの曲のように下校中道々うんこを垂れていた。さすがにもったいなく思って食べることはしなかったものの、紙がないので葉っぱをちぎって拭いたことはある。


私が小学2年生から大学入学まで住んだのは山に囲まれた大阪のはずれだ。もともと大阪市に隣接する比較的大きな町で暮らしていた私にとって、田舎での体験は新鮮だった。夏の陽ざしを浴びてきらきら光る田んぼ。用水路に蝟集する田螺。竹林に飛び交う虫たち。私は毎日のように2時間も3時間も寄り道をして帰宅していた。


野糞をするようになったきっかけを私は覚えていない。ただ、はじめて野外で排便したときの感動が、私をその後もこの崇高な儀式へと駆り立てたことは想像に難くない。


草陰に隠れてしゃがみ、ズボンとパンツを下ろす。風がふわりとやさしく私の尻をなでる。私は腹に力を入れ、しみひとつないテーブルクロスのように晴れ渡った空を見上げる。ぶりぶりぶり。かつては食べ物であり、いまや私の一部となったものたちの抜け殻が顔を覗かせ、地上へゆっくり降下していく。白日のもとにさらされた黒塊を、私はしげしげと眺める。蛍光灯ではなく、太陽の光を通して見るわが子はとても自然な輝きを放っていた。あっ、これは給食の献立にあったベイクドビーンズや。消化しきれず、うんこと渾然一体となったインゲン豆の表皮は、思いのほかつやつやしている。そうだ、たしかにこれは私が昼に食べたものだ。思わぬ再会に、私はなんだか嬉しくなってしまった。


食べて、出す。排出されたうんこはやがて土へと還っていく。自分はこの地球の大いなるサイクルの一部なのだ。野糞は、水洗トイレの無機質な水流越しでは決して窺い知ることのできない、排泄行為の尊い本質をまざまざと私の眼前に突きつけた。


屋内で用便するのは人間と、人間に飼育されている一部の動物だけだ(屋外で用を足す人も存在はするが)。そして、人間が地球上すべての生き物に占める割合はわずか0.01%にすぎないhttps://jp.weforum.org/agenda/2018/08/0-01/)。猿や虎や魚やキリンだけではない。植物も、バクテリアも、細菌も、生きとし生けるものはみな、自らのからだに取り込んだものを屋外で排出している。地球規模でみると、トイレで用を足している生物は圧倒的少数なのである。


とにかく、楽しくなった私はいろいろなところでうんこするようになった。あるときは山中で、あるときは空き地の片隅で。はたから見れば迷惑極まりない、字義通りのクソガキなのだが、体験した人にしかわからない解放感と、えも言われぬ快感が私をまっすぐ突き進ませた。


そんな折、私の目をとらえたものがあった。それは近所の川に架かる、使われていない古い橋だった。鉄製の欄干は赤く錆びつき、入り口はフェンスで覆われて渡ることはできない。川底まではおよそ10メートルほどだろうか。あそこからぶら下がってうんこしたらどんな感じなんやろう。人目を忍び、こそこそと糞を垂れるのにも飽きていた私は、このアクロバティックな思いつきに胸をときめかせた。例えるなら、オーリーで満足していたスケボー少年がやがてそれに飽きたらず、縁石や階段の手すりをがりがりと削り、より高難度の技の習得に励んでいくように、私の野外排便スタイルもどんどんと高みをめざすようになったのだ。一度あそこから自分の子供を産んでみたい。心の片隅にあった思いは、日に日に大きくなっていった。


夏の終わりのある夕方、とうとう私は計画を実行に移すことにした。姉のおさがりの銀色の自転車を駆り、川べりへ向かう。日中の厳しい暑さはいくぶん和らいでいたが、人通りはほとんどなかった。高鳴る鼓動を抑え、私は錆びた欄干に手をかけた。


せっかくなら橋の真ん中まで行ってしまいたい。そう思った私は、欄干を掴みながらおそるおそる歩を進めた。足場は15センチもない。震えるズックのつま先を少しずつ横に動かしていく。川は浅く、そこかしこに岩が転がっている。誤って足を滑らせたらただでは済まないだろう。掌にはじんわりと汗が滲んできた。自分でもなぜこんな危険を冒しているのかはわからない。が、橋の真ん中まで行ってうんこをしないことには家に帰ることはできない。私には前進する道しか残されていなかった。


恐怖心と便意、腹の中にある二つの思いが交錯した結果、ようやく私が橋の中央へたどり着くころには暗闇が夕方をじわじわと侵食し始めていた。早くしないと、このままではうんこをしてもその姿を確認できなくなってしまう。私は浮足立った。もっとも、焦りは禁物だ。注意しなければ半ケツのまま入水自殺を遂げた少年として警察に事件処理されてしまう可能性がある。もしそんなことになれば私の名誉に関わるし、何より育ててくれた両親へ顔向けできない。私は深く息を吸い、半ズボンのウエストへ手をかけた。


緊張感とは裏腹に、ズボンは思いがけずスムーズに私の足元へ下りていった。つぎに両手で欄干を掴み、尻を川へ向け突き出す。私はさながらひらがなの「く」の字のようになった。ええぞ、あとは気張るだけや。


夢に見たこの橋からうんこを投下できる。さまざまな想いが去来し、私は感慨に耽った。そして腹にぐいと力を入れた刹那、ここに至るまでの道のりと対照的に、糞は私の直腸から勢いよく抜け出した。


晩夏の風に乗った黒光りするそれは、ぽとん、と控えめな音を立て水面に飛びこんだ。ついにやった。新古今和歌集収録の歌にも詠まれた由緒ある清流に、私はエキノコックスもびっくりな暴挙を働いたのだ。便意と緊張から解放された私はするすると橋のたもとへ戻り、その辺に自生していた大きな葉をちぎって肛門を拭き上げた。興奮していたせいなのか、それとも繊維が硬かったせいなのか、葉はあざやかな朱に染まっていた。それはまるで、いままさに山元へ沈んでいく夕日を思わせた。


それきり私が野糞をすることはぱたりと途絶えてしまった。ある種の到達点に達した感じがして、これ以上のパフォーマンスをできる自信がなかったのだ。それから20年の月日が経ち、老朽化した橋はいつの間にか撤去されていた。私は大阪を離れ、少しずつではあるが確実におじさんの領域へ足を踏み入れつつある。


それでもこうして目を閉じると、あの夕方の光景が昨日のことのように思い出される。赤く錆びた欄干、山際に隠れゆく太陽、尻をなでる生暖かな風。「く」の字のかたちの私から射出されたうんこは、ぽとんと沈没することなく、ゆっくりと落下を続ける。そう、この瞬間は永遠に続くのだ。私はにこりと笑って、銀色の自転車に跨った。


※野糞は軽犯罪です。