私はいかにしてケツ丸出しで橋からぶら下がるようになったのか

小学生の一時期、野糞にはまっていた。「みっちゃんみちみち」ではじまるわらべ歌があるが、私はあの曲のように下校中道々うんこを垂れていた。さすがにもったいなく思って食べることはしなかったものの、紙がないので葉っぱをちぎって拭いたことはある。


私が小学2年生から大学入学まで住んだのは山に囲まれた大阪のはずれだ。もともと大阪市に隣接する比較的大きな町で暮らしていた私にとって、田舎での体験は新鮮だった。夏の陽ざしを浴びてきらきら光る田んぼ。用水路に蝟集する田螺。竹林に飛び交う虫たち。私は毎日のように2時間も3時間も寄り道をして帰宅していた。


野糞をするようになったきっかけを私は覚えていない。ただ、はじめて野外で排便したときの感動が、私をその後もこの崇高な儀式へと駆り立てたことは想像に難くない。


草陰に隠れてしゃがみ、ズボンとパンツを下ろす。風がふわりとやさしく私の尻をなでる。私は腹に力を入れ、しみひとつないテーブルクロスのように晴れ渡った空を見上げる。ぶりぶりぶり。かつては食べ物であり、いまや私の一部となったものたちの抜け殻が顔を覗かせ、地上へゆっくり降下していく。白日のもとにさらされた黒塊を、私はしげしげと眺める。蛍光灯ではなく、太陽の光を通して見るわが子はとても自然な輝きを放っていた。あっ、これは給食の献立にあったベイクドビーンズや。消化しきれず、うんこと渾然一体となったインゲン豆の表皮は、思いのほかつやつやしている。そうだ、たしかにこれは私が昼に食べたものだ。思わぬ再会に、私はなんだか嬉しくなってしまった。


食べて、出す。排出されたうんこはやがて土へと還っていく。自分はこの地球の大いなるサイクルの一部なのだ。野糞は、水洗トイレの無機質な水流越しでは決して窺い知ることのできない、排泄行為の尊い本質をまざまざと私の眼前に突きつけた。


屋内で用便するのは人間と、人間に飼育されている一部の動物だけだ(屋外で用を足す人も存在はするが)。そして、人間が地球上すべての生き物に占める割合はわずか0.01%にすぎないhttps://jp.weforum.org/agenda/2018/08/0-01/)。猿や虎や魚やキリンだけではない。植物も、バクテリアも、細菌も、生きとし生けるものはみな、自らのからだに取り込んだものを屋外で排出している。地球規模でみると、トイレで用を足している生物は圧倒的少数なのである。


とにかく、楽しくなった私はいろいろなところでうんこするようになった。あるときは山中で、あるときは空き地の片隅で。はたから見れば迷惑極まりない、字義通りのクソガキなのだが、体験した人にしかわからない解放感と、えも言われぬ快感が私をまっすぐ突き進ませた。


そんな折、私の目をとらえたものがあった。それは近所の川に架かる、使われていない古い橋だった。鉄製の欄干は赤く錆びつき、入り口はフェンスで覆われて渡ることはできない。川底まではおよそ10メートルほどだろうか。あそこからぶら下がってうんこしたらどんな感じなんやろう。人目を忍び、こそこそと糞を垂れるのにも飽きていた私は、このアクロバティックな思いつきに胸をときめかせた。例えるなら、オーリーで満足していたスケボー少年がやがてそれに飽きたらず、縁石や階段の手すりをがりがりと削り、より高難度の技の習得に励んでいくように、私の野外排便スタイルもどんどんと高みをめざすようになったのだ。一度あそこから自分の子供を産んでみたい。心の片隅にあった思いは、日に日に大きくなっていった。


夏の終わりのある夕方、とうとう私は計画を実行に移すことにした。姉のおさがりの銀色の自転車を駆り、川べりへ向かう。日中の厳しい暑さはいくぶん和らいでいたが、人通りはほとんどなかった。高鳴る鼓動を抑え、私は錆びた欄干に手をかけた。


せっかくなら橋の真ん中まで行ってしまいたい。そう思った私は、欄干を掴みながらおそるおそる歩を進めた。足場は15センチもない。震えるズックのつま先を少しずつ横に動かしていく。川は浅く、そこかしこに岩が転がっている。誤って足を滑らせたらただでは済まないだろう。掌にはじんわりと汗が滲んできた。自分でもなぜこんな危険を冒しているのかはわからない。が、橋の真ん中まで行ってうんこをしないことには家に帰ることはできない。私には前進する道しか残されていなかった。


恐怖心と便意、腹の中にある二つの思いが交錯した結果、ようやく私が橋の中央へたどり着くころには暗闇が夕方をじわじわと侵食し始めていた。早くしないと、このままではうんこをしてもその姿を確認できなくなってしまう。私は浮足立った。もっとも、焦りは禁物だ。注意しなければ半ケツのまま入水自殺を遂げた少年として警察に事件処理されてしまう可能性がある。もしそんなことになれば私の名誉に関わるし、何より育ててくれた両親へ顔向けできない。私は深く息を吸い、半ズボンのウエストへ手をかけた。


緊張感とは裏腹に、ズボンは思いがけずスムーズに私の足元へ下りていった。つぎに両手で欄干を掴み、尻を川へ向け突き出す。私はさながらひらがなの「く」の字のようになった。ええぞ、あとは気張るだけや。


夢に見たこの橋からうんこを投下できる。さまざまな想いが去来し、私は感慨に耽った。そして腹にぐいと力を入れた刹那、ここに至るまでの道のりと対照的に、糞は私の直腸から勢いよく抜け出した。


晩夏の風に乗った黒光りするそれは、ぽとん、と控えめな音を立て水面に飛びこんだ。ついにやった。新古今和歌集収録の歌にも詠まれた由緒ある清流に、私はエキノコックスもびっくりな暴挙を働いたのだ。便意と緊張から解放された私はするすると橋のたもとへ戻り、その辺に自生していた大きな葉をちぎって肛門を拭き上げた。興奮していたせいなのか、それとも繊維が硬かったせいなのか、葉はあざやかな朱に染まっていた。それはまるで、いままさに山元へ沈んでいく夕日を思わせた。


それきり私が野糞をすることはぱたりと途絶えてしまった。ある種の到達点に達した感じがして、これ以上のパフォーマンスをできる自信がなかったのだ。それから20年の月日が経ち、老朽化した橋はいつの間にか撤去されていた。私は大阪を離れ、少しずつではあるが確実におじさんの領域へ足を踏み入れつつある。


それでもこうして目を閉じると、あの夕方の光景が昨日のことのように思い出される。赤く錆びた欄干、山際に隠れゆく太陽、尻をなでる生暖かな風。「く」の字のかたちの私から射出されたうんこは、ぽとんと沈没することなく、ゆっくりと落下を続ける。そう、この瞬間は永遠に続くのだ。私はにこりと笑って、銀色の自転車に跨った。


※野糞は軽犯罪です。