見飽きた奴等にゃおさらばしよう

会社をやめた。二十代半ばから6年近く勤めたので、退職の日は感慨があるかと思っていたが、特にそんなこともなかった。まあ会社に不満があって、しかも自分からやめているので当たり前の話ではある。解放感やっほー!

 

考えてみると、自己都合退職とは大層なイベントだ。一般人の人生において、何かを「やめる」ことをこれほどまで高らかに宣言することはあるだろうか(たとえばスポーツ選手の場合、引退は一大イベントである。なかにはわざわざ記者会見を開いて「やめます」と宣言する人もいる)。

 

始めたことを「やめる」行為は、それが特に依存性もなく、かつ自分一人で完結している場合、たいていひっそりとおこなわれる。資格の勉強、朝活、ジョギング、コレクションなどなど。仮に友達に「毎朝早起きすんのしんどいから朝活やめるわ」と言うことはあっても、「ふーん…」で終わってしまうだろう。

 

対して、自己都合退職は嫌になるほどいろんな人に「ワイ会社やめるねん」と言いふらさなければならない。これは退職が、仕事を通じて築いてきた人間関係を精算する行為の集積だからだ。おそらく個人レベルでは、自己都合退職以上に複雑な、さまざまな人を巻き込んだ何かを「やめる」というイベントは存在しないだろう。

 

関連して、本心かはわからないが「家族を守らなければいけないからやめられない」などと言う人がいる。でもそれは「めんどくさいから退職したくない」という理由を家族に転嫁しているだけな気がする。会社をやめることで色々な人との関係をリセットする必要はあれど、家族との関係は変わらないからだ。それに本当に自分がやりたいことがあるならきちんとプレゼンするべきではないか。相談すらしていないのに家族をダシに使うなんて家族に失礼なんちゃうのと思う。

 

話を戻すと、会社のやめにくさは仕事にまつわる人間関係の多寡と比例する。上司とセットでないと客先に訪問できない入社2ヶ月の新人と、多数のクライアントを抱えるトップ営業マンとでは抱えている人間関係の総量が違う。一般的に勤続年数が短い若手の方が会社をやめやすいとされているのは、彼らが持つリレーションの少なさによって「もろもろ調整する」めんどくささがない、つまり退職という「ナシ」をつけやすいためである。

 

法律的にはもろもろのめんどくさい調整をほったらかしても、2週間前に退職の申し出さえすればOKということになっている。でもそれって社会人としてどうなのという話になってしまうし、当の本人もあまり気持ち良くはないだろう(とんでもなくブラックな環境で働いている人は、パワハラ上司にドロップキックと往復ビンタかまして即日行方をくらませばいいと思います)。

 

かくして私たちは、引き継ぎ用のマニュアルをパワーポイントで汲々とこさえたり、行きたくもない自分の送別会でオヤジの繰言にニコニコ相槌を打ったりせざるをえない状況に陥るわけだ。でもしょーがない。それが誰かに雇われて生きるってことだから。

 

会社をやめる前、もっというと退職を見据えて転職活動をする前から、じゃがたらの「でも・デモ・DEMO」がずっと私の頭の中で流れていた。

 

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暗黒大陸じゃがたら名義で1982年に発表されたデビュー・アルバム「南蛮渡来」のオープニング曲。はじめて聴いたのは私がまだ十代の頃だっただろうか。フロントマン、江戸アケミの「あんた気に食わない!」というシャウトに続き、ズンドコ打ち鳴らされる太鼓とブカブカ吹き荒れるラッパ、唸りをあげるリードギター、精確にリズムを刻むリズムギターとベースがないまぜになって火砕流のように溢れ出す狂乱のアフロビート。どこか日本的な村祭りを思わせる猥雑さと暖かさを持ったそれは、私の胸ぐらを掴んで煌めくやぐらの上まで引き寄せるような迫力に満ちていた。

 

あれから色々な国の色々な音楽を聴いてきたが、いまだに「あんた気に食わない!」と叫んで始まる曲など聴いたことがない。デビュー・アルバムの、しかも一曲目である。こんな曲を私はほかには知らない。一方で、歌詞を読み進めると江戸が一体何について気に食わないのかが少しずつ浮かび上がってくる。

 

くらいね、くらいね、性格がくらいね、
で、で、でも

 

みんないい人、あんたいい人
いつもいい人、どうでもいい人
今宵限りでお別れしましょう

 

(中略)

 

せこく生きてちょうだい
見飽きた奴等にゃおさらばするのさ

 

(中略)

 

日本人てくらいね、性格がくらいね

 

 

「あんた」は一見二人称ではあるが、特定の個人を指したことばではない。その対象は、日本という旧弊な社会と、それが醸成する目に見えない「空気」そのものだ。たしかに一人ひとりは「いい人」なのだろう。でもあんたたちは根本的に性格が暗いどうでも「いい人」だし、そんな奴等が集まった重苦しい空間には耐えられない。アケミはそう喝破する。

 

江戸アケミが亡くなってから30年以上経つ今もなお、いやむしろ悪意が大手を振ってそこかしこを歩く今こそ、「でも・デモ・DEMO」はリアリティと共感を伴って語りかけてくる。少なくとも小さな舟に乗り込み、ゆらゆら波に揺られながら毎日を進んでいた私にとって、この曲は闇の先を照らす灯台のような存在であり続けた。とうの昔にやめた人の悪口を言い続ける矮小な人間性や、生気なくパソコンに向かう真っ白なお面がずらりと並ぶさまを眺めながら、私は「見飽きた奴等にゃおさらばするのさ」と頭の中で繰り返し歌い踊っていたのだった。

 

83年から85年の活動休止を挟んでじゃがたらが全盛期を過ごした86年から90年という時代は、そのままバブル経済とぴったり重なる。アホ丸出しでええじゃないかええじゃないかと浮かれ騒ぐ人々を横目に、江戸アケミはその実態のなさと、放縦がやがて行き着くであろうどんづまりを鋭敏に感じ取り、「ここではないどこか」をつねに希求し続けた。

 

そうさ、お前は本当は とてもいかした男さ
イェイ、イェイ だから脱け出せ 今居る処から
そうさ、世界は思わくより 速くなっているのさ
なのに、お前らのしてる事は
つじつま合わせ

 

ーゴーグル、それをしろ

 

このままじゃ

どこまで行っても同じことさ
どこまで行っても出口知らずさ

 

(中略)

 

スピードさらにスピードもっとゆっくり急げ
スピードもっとスピードさらにゆっくり急げ
ハイウェイの彼方に ハイウェイの彼方に

 

ー岬でまつわ

 

同時に、「お前はお前の踊りを踊れ」というアケミの遺した言葉からもわかるように、じゃがたらは人間がもつ身体性を全面的に肯定した。それは生命の肯定とも言える。下手でもいい。お前がやりたいように、お前のやり方で踊ればいいんだよ。一見乱暴なようでいてやさしい、アケミの人間存在に対するまなざしは一貫している。クライマックスへと向かう「でも・デモ・DEMO」で、彼はこうがなり立てるのだ。

 

思いつくままに動き続けろ
思いつくままにとばしつづけろ
思いつくままに走りつづけろ
思いつくままにたたきつづけろ
思いつくままに壊しつづけろ
思いつくままに踊りつづけろ
思いつくままにしゃべりつづけろ

 

江戸アケミは、「お前はお前のロックンロールをやれ」とも歌った。その通りだと思う。私たちは踊りつづけなければならない。ロックしてロールしつづけねばならない。社会に、システムに回収された私たち自身の身体を奪還しなければならない。踊りといっても、お立ち台にのぼって扇子ひらひらするような知性の欠片もないダンスではない。これは戦いのための踊りだ。私たちにはそれぞれ固有の身体があり、それは自分以外誰のものでもない。だから私は、こうして思いつくままに文章を書きつづけている。